また、環境破壊や地球環境の危機が叫ばれる中、地域ごとの自然保護や環境保全においては、そのような知識を持った人材の活用が不可欠であるため、パラタクソノミストと呼ばれる職業的、あるいはボランティア的に博物学的な仕事をする専門家の育成が叫ばれるようになってきている。
日本では奈良時代以来、本草学に関する書物が読まれており、10世紀には『本草和名』という、本草の和名を漢名と対比した書物が編纂された。江戸時代には1607年の『本草綱目』の輸入をきっかけに本格的な本草学研究が興った。林羅山は1612年に『多識篇』を著わし、『本草綱目』を抄出した。以後さらに研究が進められ、『大和本草』(1708年)を著わした貝原益軒や、田村藍水などの著名な本草学者が出現した。稲生若水は1738年に『庶物類纂』を編纂した。藍水門下の平賀源内は物産会を開いた。また、石綿や、いくつかの鉱山を見つけた。
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魚介類・鳥類・植物などを図鑑としてまとめる作業は、大名などのあいだで流行し、極密の魚介図譜・禽獣図譜などが作られた。これらの多くは、美術的にも評価が高い。
その後杉田玄白らによって蘭学が成立すると、ヨーロッパから渡ってきた博物学書の翻訳が行われた(翻訳自体は、その一世代前の野呂元丈がすでに行っていた。ただしそれは一般に広まらなかった)。大槻玄沢や司馬江漢がオランダ渡りの図鑑をいくつか翻訳して公刊した。博物学的知識は実用可能である上に、当時の幕府が危険視するような思想的背景が薄いため、かなり早くから流入し、本草学にも影響を与えている。